2年かかったけれど

予備校に通い出す前までは
ちょっと自分がいつも可哀想に思えて
それというのが
私の地元の電車は本当に本数が少なく
知り合いと出会う確率の方が断然に高かった。
私の浪人が決まってまだ間もない頃に
たまたま同じ高校で
話したこともない男の子たちが私の話をしはじめていた。
(同じ車両だとすぐに見つかるのが田舎ならではだと思う)
彼らは私が浪人することを何故か知っていて
浪人というものが非常にダサいことだと笑いながら話していた。
私はその時、色々と敏感になっていて
その事が悔しくてたまらなくて
家に帰って即座にTwitterの同じ高校の男の子たちをブロックした。
たかがSNS だけど、ブロックという
目に見えない壁を彼らに置くことが
その時はすごく安心して。
その日の夜はとても心が空しくて
信じられるのは
本当に家族と自分だけなんだと人間不振になって
辛くて泣いた。

家族には私はプライドがあってその事を伝えなかったけれど
母は私を地元じゃなく
隣の県の予備校まで通わせてくれた。

お金がすごくかかるのに。

地元がそれまで私にとっての
世界の全てだったけれど
それがどんなに狭苦しいことで
無駄な縛りだったのか
たかが隣の県に行っただけで
凄くバカらしくて笑えたし
同時に母の気遣いが沁みてまた泣いた。

それから2年くらいして
大学生になりしばらくした頃に
友達にTwitterの話をしたら何それと笑われ
私もめちゃくちゃに笑えた。

時間は忘却のためにあるのだと思う。
それでも2年かかったけれど。

この話はまだ母にも家族にも話せて無いけれど
多分あと3年くらいしたら話せるのかもしれない。