苦手が増えてきたのはどこか悪いからなの

かは、分からないけど、
とりあえず今は自分すら
儘ならないのもある

ベックの本を
図書館の床に座って読んだ。
なぜか人がたくさんいて
椅子が空いてなかったから。
床に座って読むのは椅子に座るよりも気軽だった。
ベックの言葉で
自分がどんな物を作ろうとも
必ずそこには自分だけのセンスがある。
みたいなことが書いてあった。

ベックはまだ死んではいないけど、
昔からいい人ほど早く死ぬと
お母さんが言っていた。
中学3年の時の担任の先生が
持病で亡くなったとき、
亡くなった1年後くらいにその事をしった。
生徒指導を受け持っていて
厳しい顔をしたり、笑顔をしていたり
忙しそうな人だった。
ある日から先生が指輪をしてこなくなって、
たちまち離婚したと騒ぎになって
家庭では横暴だったのかもしれないとか
勝手にみんな噂して
先生が亡くなったと聞いた時、
私は先生が1人ぼっちな人で
居なくなってしまったことに
泣きそうになった。
人はみんな1人だというけど、
それは違うのだと理解した。
先生のことが苦手で、
進路相談をいつも別の仲の良い先生に
頼んでいたけれど
1回くらい先生にしてもらえば良かったと
後悔もした。

ベックは自らのライブで、
スローな曲を披露した。
パンクを求めてやってきた彼のファンは
動揺し、彼に酷くクレームを投げた。
そんな中でもベックはスローな曲を
歌い続けた、と本であった。
まるで先生のようだと思った。
先生をかっこいいとは言えないけど
ベックをかっこいいと思った。
だから同じことなのだけど。 



いい人は残された人を
どう思っていたのだろう。


晴れた天気は肌に悪くて
今まで治っていた右頬の荒れが1年明けて、再発した。
まるで、私は日差しを浴びると干からびる
蛞蝓のようだと思った。


人の居ない空気が好きだ、
人の居ない教室で外の景色を眺めて
時間が過ぎるのをただひたすら待ってる

そろそろ梅雨がくる
蛞蝓はスラスラとメラメラ綺麗な足跡を残す

残された跡を迷路の様だと思った。

いつも

ミサイルが落ちるのかもしれない

全部他人事だけど
それくらい何かすごい衝動があって、
ようやく何かやっておこうかな
って気持ちになる。


ミサイルは朝鮮からはるばる海を渡って
日本のどこかに落ちてくる

沖縄で去年の夏の少しを過ごした。
ホテルから歩いて20分くらいの海にスーパーでお菓子とお酒を買って、深夜毎日通った。

沖縄の夜は涼しいけど、蒸していて
15歳くらいの男の子たちや、アベックが
海岸に集まっていた。

日本人と、どこかアジア系の2人組の男の人達が
話しかけてきて、とても気さくだった。

海の上には道路が渡っていて、
そこからの光が海に落ちて
海が夜の景色を映しこんでいた。

アジア人のどこかおかしな、
でも柔らかな日本語と
波の音と海に映し出された光が
どこかそこを別の国のようにしていて
あんな体験はもう無いかもしれないけれど
もう一度戻りたいと思う場所になった。

あの沖縄の景色が、ミサイルが来たら
全部消えてしまうのかもしれない。

それはとても悲しいことなのに、
こうしてぼんやりと
学校の窓から
そんなことも露知らずの人たちを
眺めて、1日を過ごすことが出来ているのは
やっぱりどこか麻痺してきている証拠で
ここから逃げれなくなっている
原因を形づくっていて、
ここは東京で、飛行機で沖縄まで二時間もあれば
着くことができるのに
飛行機のチケットを買うことが出来ない。

2年かかったけれど

予備校に通い出す前までは
ちょっと自分がいつも可哀想に思えて
それというのが
私の地元の電車は本当に本数が少なく
知り合いと出会う確率の方が断然に高かった。
私の浪人が決まってまだ間もない頃に
たまたま同じ高校で
話したこともない男の子たちが私の話をしはじめていた。
(同じ車両だとすぐに見つかるのが田舎ならではだと思う)
彼らは私が浪人することを何故か知っていて
浪人というものが非常にダサいことだと笑いながら話していた。
私はその時、色々と敏感になっていて
その事が悔しくてたまらなくて
家に帰って即座にTwitterの同じ高校の男の子たちをブロックした。
たかがSNS だけど、ブロックという
目に見えない壁を彼らに置くことが
その時はすごく安心して。
その日の夜はとても心が空しくて
信じられるのは
本当に家族と自分だけなんだと人間不振になって
辛くて泣いた。

家族には私はプライドがあってその事を伝えなかったけれど
母は私を地元じゃなく
隣の県の予備校まで通わせてくれた。

お金がすごくかかるのに。

地元がそれまで私にとっての
世界の全てだったけれど
それがどんなに狭苦しいことで
無駄な縛りだったのか
たかが隣の県に行っただけで
凄くバカらしくて笑えたし
同時に母の気遣いが沁みてまた泣いた。

それから2年くらいして
大学生になりしばらくした頃に
友達にTwitterの話をしたら何それと笑われ
私もめちゃくちゃに笑えた。

時間は忘却のためにあるのだと思う。
それでも2年かかったけれど。

この話はまだ母にも家族にも話せて無いけれど
多分あと3年くらいしたら話せるのかもしれない。

もう名前も思い出せないけど

保育園の頃に、私はおかっぱ頭で完全にお母さんの好きなようにさせられていた。(でも多分みんなそうだったと思う)さいきん友達が小さい頃におかっぱだった子って過去を振り返るの辛そうだよねって言ってたけど彼女はきっと私が昔おかっぱだったなんて微塵も知らないから言えたことなんだと思うし、何も言わなかった。まあそんなことはないし、当時はそこまで自我に目覚めて無かったから気にしても無かった。とりあえず私は女の子っていうよりは男勝りで顔も男の子みたいで、今、写真をみてもやっぱり可愛くないなと思う。

もう名前も思い出せないけど、すごく仲の良い男の子がいて、その子と会う前まで私はいつもおやすみの時間(保育園では各々の布団があって寝る時間があった)に泣いてなかなか寝ない子だったらしいのだけど、その子と友達になってからいつも布団の中で二人で戯れあっていた。その子が家の事情で転園するとき、私はまさかいなくなるなんて思ってもみなくてただ普通にいつも通り、大きなクッション積み木を積み上げて2人でよじ登って遊んでたのだけど、高いところまで来たときに何故か手の甲にキスされて、仰天して落ちてしまったのだった。それまで男の子と女の子の違いが本当によく分かっていなくて、朝見るテレビもいつもお姉ちゃんがセーラームーンを見てたから私はセーラームーンの変身シーンでうさぎの口が無いのが異常に怖くて見てなかったし、タキシード仮面とセーラームーンを見てたらきっと違ったのだろうけど、落ちた後でひどく泣いて、結局その子とのお別れはちょっと苦味の残るものとなってしまった。そんなことをごくたまに何故か思い出すことがあって、それは大抵安定していて眠りに入る寸前だったりするから、きっと私が死ぬ寸前にもまた思い出すんだと思う。彼も今の歳になって手の甲にキスなんてしないと思うし、覚えてもいないかもしれなけど、私にとって忘れられない思い出を与えてくれた彼が、元気に今もどこかで過ごしていてくれたら、それはもうたまらなく嬉しいことで、こういう全く覚えていない人のことを思える自分がちゃんといることが、きっと嬉しくてこの記事を書いたのだと今気づいた。