初夏

大学から近い中央線沿いの

街とはいいがたい

どこか田舎くさい場所からの帰り道

バスに乗った。

ちょうど一番後ろの

遮りのない、赤の他人が五人程度

つらつらと頭が並べられる席で

私は真ん中に座った。

その帰りは3人で5人分の席を使うことになった。

右隣の女の子は、私が座る前から

手にキャベツ太郎の袋を持っていて

もう片方の手でひたすらに中身をつまみ出しては

池の中でパクパクと餌を待つ鯉のように

パクパクと次から次へと口に運んで、

たまに奥の太郎たちを手前に引き出すために

前後に振っては食べるを繰り返していた。

もしかしたら私よりも

年下かもしれない女の子が

キャベツ太郎

夕方のそんなに混んでないバスの中で

必死に食べていた。

左隣では二人分くらいあるであろう

大きなお尻と体をぐったりと席にあずけたおばさんが、

そわそわと周りを気にしているような

なかなかじっと出来ない様子で座っていた。

初夏にも近い今の季節は、

バスの車内を蒸すのに十分で、

ただでさえ他の人より大きな彼女は

汗をかいているようで、

どこかツンとする匂いがした。

右隣のキャベツ太郎を食べている彼女の栄養分を

左隣の大きな彼女が、吸収しているようで、

なんだか、ひどい想像だけど、ちょっと笑えた。


前の方では堂々と車椅子席に座る人たちが

乗り込んできたおばあさんが

まるで透明人間であるかのように

見えないようだった。

バスの発車ギリギリで

駆け込んできた会社勤めをしているであろう

男性は、息を荒げたままで

車内を一層蒸し暑くさせた。

どうしてお前の手は涙で汚い

窓の外からの雑音は
踏みにじる何かに似ている
こぼれ落ちた水を指先に乗せる
微かに異臭が
吸い込んだ埃を全て吐き出したいと思った
夜の道で見つけた泥まみれの犬を
汚ならしいと口に出して呟いた
足の指に刺さった針が
骨にまで貫通すればいいのに

分からないのは

どうしてみんなすぐ

人を責めることが出来るんだろう

人は人で私とあなたは違うし

出来ることも、それに順応する能力も違うのに

みんながみんな出来ると思ったら

それは違うよ

そもそも自分が人を責めることが

本当に出来るのかまず考えないとだよ


きつい言葉が

人に与える圧力も

知らないで

大人になったら駄目だよ


人の涙が溢れる瞬間に

目を瞑ってはいけないよ


優しさが残酷すぎることもある

怒りがいつか気づかせてくれることもある

言葉に惑わされて生きるのは辛すぎる

人との関わり方が違うのは当然だよ

もう泣かなくていいんだよ

1人が怖いのはみんな同じで

夜の海を眺めたいのに

街から出られないんだよ


遠い国の、言葉がちがう人たちみんなが

同じ孤独を抱えているから

まだもうちょっと

海が見える街に住むまで

もう少し

距離

いつまで経っても
なかなか自分以外の人が愛せないでいる
家族に対しても、それ以外に対しても

いつからこうなってしまったのか

お母さんに怒られて
ベッドで泣いている時に
お父さんが隣で添い寝をしてくれるのが
とても嬉しかったのに
ある時から急に気持ち悪くなったのと
似た感覚。 
お父さん
私の反抗期が3年以上続いたりで
たくさん傷つけてしまったな、
お父さんごめんなさい。


誰でもある程度慣れた相手に
体を触られると払いのけたくなるし
まとわりつく言葉には嫌悪感を抱いてしまう

一定の距離を置いておかないと
好きなのに気持ち悪くなって
自分が自分で上手くコントロール出来なくなって
どうしようもない

こんなこと、みんなもあるのかな

でも、距離を置いたのは私なのに
向こうにそれを気づいてほしいけど
ほしくないし、離れられると
傷つけてしまったのかと反省をする 

疲れる、、、 


中学生の頃、すごく仲のいい友達がいた
部活も登下校もいつも一瞬で
落ち着いていてよく笑う可愛い子だった

友情は恋とも近いのではないかと
気づいたのは彼女といるようになってからだ

彼女が自分意外の子と仲良くしていたら
嫉妬したし、帰り道に喧嘩したら
無言でゆっくり歩いて距離を置いて
泣きながら帰ったりした 

友達にこんな思いを抱いたのは彼女だけだったけど、本当にごめんね


きっと私が今までで唯一愛せた人が
彼女だったんだと思う 人として

家族や他の友人よりも
誰よりも特別だった彼女とは
もう連絡もとってない

あれだけ3年間毎日一緒だったのに


孤独を感じるのが寂しくて、
人と一緒にいたいのに
一緒にいるようになると
気持ち悪くなるのでは
きっと、もう天涯孤独が
一番私にはあうのかもしれない。

みんなごめんね

あまり人には言えなかったけど、
ここはきっと誰も見てないので
もうぶちまけてしまおー、

最近というより、大学に入って
しばらくした頃から
全く夜熟睡出来なくなって
最初は朝まで起きて昼まで寝ないように
朝散歩をしてなんとかし
授業で爆睡してた。
ら、成績の評価があまりよくなくて、
これじゃいかんと思い
朝まで起きるのをやめた。

そしたら今度は
夜中に起きるようになっちゃって
若干夢遊病気味になってしまい
朝起きたら冷蔵庫が開けっ放しだったり
トイレの電気がつけっぱなしだったり
飲んだ覚えがないのに
牛乳を全部飲み干していたりしてた。
最初のうちは何となく覚えていたけど、
二年も経ってしまうと更に悪化して
覚えがないことの方が増えた。

これはそろそろヤバイと思って
親に言うのも言いにくいし
とりあえず病院に行こうと思い
有名な睡眠クリニックに行った。
わざわざ代々木まで

そしたら泊まり込みの検査になると言われて
入院の治療費が万単位になってて
こんな金額払えないよ~、ってなって
もう行くの止めようとなった。

本当に信じられないのが、
そこの医者は精神科医だったことと
精神科医のくせに
私の答えが気にくわなかったのか
「そうやってヘラヘラ笑ってるからだよ」
とか「ひっぱたいてやりたい」とか
言ってきて、もう2度と行くかと思った。
私がどうしてヘラヘラしてしまうのか
お前には一生分からないだろうな。

最終的に夜のバイトは辞めて
生活改善からしていこうねっと言われ
本当に死んでくれと思った。
お金がないから
バイトをしないといけない訳で
時給が高いのが夜勤な訳で
うちはお金もないし、浪人してるから
あまり親にお金お金言えない。

友達の二人に(なぜかこの二人には言えた)
自分の症状を打ち明けてみたら
東京の生活が合わないんじゃないか
ストレスが溜まっているのではないか
と言われてそうか!と思った。

そのついでにお母さんにも
最近不眠なんだよと微妙に打ち明けたら
自分が選んだ道だからしっかりしろ
とメールがきて、
何でそうなったのか全く分からないと言われ
そのあとでお父さんから
寝れない夜は退屈な本を読むといいよ
とメールがきた。
お父さんにもいったんだね
お母さんの行動にちょっと傷ついた。
お母さんからはそのあと
心配してくれてるようなメールがきて、
でも病院代は自分で払ってね
と書いてあったし
山口に戻ってきたらともあった。

東京の大学に行くってなったとき、
山口には戻れないと思いなさいよって
言ったのはお母さんだったのに。
お母さんの言葉は
どうしたらいいのか分からなくさせてきて嫌だ。
今さらなんなの。

友達が、自分の病気を
周りに言わない子は偉いよねとか
自分の病気を言ってるやつは
構ってちゃんだしウザイし痛いとか
言っているのを聞くと彼女達には
どうしても言えないし、
でもなぜか割りとそうやって言う子の方が
周りには多くて、
私は彼女たちのことが好きだし
嫌われたく無かった。
本当のことを言ったら
お前も構ってちゃんかよって
思わそうで、怖くて。

私も前までは
こういう病気なんだって言う子が
苦手だったけど、
障害者施設に介護体験にいって
全く障害のないような子でも
障害があるんだなと分かって、
きっとみんな同じなのかもしれないと
思うようになった。
自分がこういう悩みがあって、
こういう症状があると
言わないときっと誰も分かってくれないよね。
でも言うと煙たがれる。
もうほんと、どうしよーもないね。
最近は睡眠改善薬をのみだした。
相変わらず夜中には起きるけど、
今度は効きすぎて朝が起きれなくなった。
酷いと11時とかに起きる。
当然午前の学校にはいけない。
みんなに迷惑をかけるし、
みんなには出来ることが
出来ないやつとして見捨てられる。
結構みんな残酷で、
でも私もきっと、
そっちの出来る側の人間だったら
来ない人にはイライラしてしまうと思う。
だって自分の時間を犠牲にしてるから。

親にももう心配かけたくない。

とりあえずバイトは辞めることにしたけど、
来月がピンチになってしまったから
はやく次のバイト、しなくちゃ。

お金に追われて
人目を気にして

もう何もしたくないな~
誰にも迷惑かけたくない。
無気力だし、睡眠改善薬のせいで
一日中眠たい。

私はつくづく出来ないし
ダメダメなのは自分でも
最近ようやく実感しつつある。
ちゃんとしなきゃ
迷惑かけないようにしなきゃって 
思えば思うほど消えて~って思う。

私なんか居なくても
全然周りはなんとでもなるし
私の意見なんて
それで?ってくらいで
何にもならないのにね、
それがちょっと悔しくて 悲しくて
踏ん張ってなんとか存在だけでも
示したいけどむなしいね。

居ても居なくても同じじゃんね。

責任を押し付けてるつもりじゃないんだよ

みんなどうしてもそう思ってるみたいだけど、
私の意見に自信がなくて、
言葉にする価値なんてないように思えて
仕方がなくて、ちゃんとしてることで
自分を保ってる子の言葉の方が
当たり前に軸があるから。

 弱いけど、それでいいよって、
 へたくそだけど、聞いてるよって
言ってくれる誰かが
居てくれたらほんと、助かるのに。
私はカエル症候群なので、
自分のことを好きになってくれた人が
嫌いになってしまうから
もう一生そんなことないんだろうな~🐸
悲しいな
みんな悪態ついてごめんね、ごめんね
ここだけだから許してね、
見なかったことにしてね、
ごめんね

苦手が増えてきたのはどこか悪いからなの

かは、分からないけど、
とりあえず今は自分すら
儘ならないのもある

ベックの本を
図書館の床に座って読んだ。
なぜか人がたくさんいて
椅子が空いてなかったから。
床に座って読むのは椅子に座るよりも気軽だった。
ベックの言葉で
自分がどんな物を作ろうとも
必ずそこには自分だけのセンスがある。
みたいなことが書いてあった。

ベックはまだ死んではいないけど、
昔からいい人ほど早く死ぬと
お母さんが言っていた。
中学3年の時の担任の先生が
持病で亡くなったとき、
亡くなった1年後くらいにその事をしった。
生徒指導を受け持っていて
厳しい顔をしたり、笑顔をしていたり
忙しそうな人だった。
ある日から先生が指輪をしてこなくなって、
たちまち離婚したと騒ぎになって
家庭では横暴だったのかもしれないとか
勝手にみんな噂して
先生が亡くなったと聞いた時、
私は先生が1人ぼっちな人で
居なくなってしまったことに
泣きそうになった。
人はみんな1人だというけど、
それは違うのだと理解した。
先生のことが苦手で、
進路相談をいつも別の仲の良い先生に
頼んでいたけれど
1回くらい先生にしてもらえば良かったと
後悔もした。

ベックは自らのライブで、
スローな曲を披露した。
パンクを求めてやってきた彼のファンは
動揺し、彼に酷くクレームを投げた。
そんな中でもベックはスローな曲を
歌い続けた、と本であった。
まるで先生のようだと思った。
先生をかっこいいとは言えないけど
ベックをかっこいいと思った。
だから同じことなのだけど。 



いい人は残された人を
どう思っていたのだろう。


晴れた天気は肌に悪くて
今まで治っていた右頬の荒れが1年明けて、再発した。
まるで、私は日差しを浴びると干からびる
蛞蝓のようだと思った。


人の居ない空気が好きだ、
人の居ない教室で外の景色を眺めて
時間が過ぎるのをただひたすら待ってる

そろそろ梅雨がくる
蛞蝓はスラスラとメラメラ綺麗な足跡を残す

残された跡を迷路の様だと思った。

いつも

ミサイルが落ちるのかもしれない

全部他人事だけど
それくらい何かすごい衝動があって、
ようやく何かやっておこうかな
って気持ちになる。


ミサイルは朝鮮からはるばる海を渡って
日本のどこかに落ちてくる

沖縄で去年の夏の少しを過ごした。
ホテルから歩いて20分くらいの海にスーパーでお菓子とお酒を買って、深夜毎日通った。

沖縄の夜は涼しいけど、蒸していて
15歳くらいの男の子たちや、アベックが
海岸に集まっていた。

日本人と、どこかアジア系の2人組の男の人達が
話しかけてきて、とても気さくだった。

海の上には道路が渡っていて、
そこからの光が海に落ちて
海が夜の景色を映しこんでいた。

アジア人のどこかおかしな、
でも柔らかな日本語と
波の音と海に映し出された光が
どこかそこを別の国のようにしていて
あんな体験はもう無いかもしれないけれど
もう一度戻りたいと思う場所になった。

あの沖縄の景色が、ミサイルが来たら
全部消えてしまうのかもしれない。

それはとても悲しいことなのに、
こうしてぼんやりと
学校の窓から
そんなことも露知らずの人たちを
眺めて、1日を過ごすことが出来ているのは
やっぱりどこか麻痺してきている証拠で
ここから逃げれなくなっている
原因を形づくっていて、
ここは東京で、飛行機で沖縄まで二時間もあれば
着くことができるのに
飛行機のチケットを買うことが出来ない。